かすがい市民活動情報サイト歴史探訪街道ウォーキングの会活動紹介学術・文化・芸術・スポーツ2024/06/19 名古屋市瑞穂区史跡散策路「塩付街道と桜のみち」を散策した。《6月活動報告》

2024/06/19 名古屋市瑞穂区史跡散策路「塩付街道と桜のみち」を散策した。《6月活動報告》

公開日:2024年06月27日 最終更新日:2024年06月27日

2024/06/19名古屋市瑞穂区史跡散策路「塩付街道と桜のみち」を散策した。 《6月活動報告》
 散策コースは村上神社、鼎橋、善進寺、正及神社、東山荘、東栄八幡社の順序です。
✪地下鉄瑞穂区役所駅 
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地下鉄瑞穂区役所駅

✪塩付街道(しおつけかいどう)
 江戸時代の中頃まで、南区本星崎町一帯では、さかんに塩を作っていた。 ここでとれた塩は、千種区古出来町あたりに集荷され、遠く信州(現在の長野県)まで、俵に詰め運ばれたといわれている。 本星崎町から古出来町まで約10kmが塩付街道と呼ばれる。
  
✪名残の松
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名残の松 

✪村上神社 (むらかみじんじゃ)
 祭神は熱田大神を祀っている。
 かつては村上おどり山古墳の上に鎮座する神社で、もともとこの場所には石を祀る眞好社があり、その跡地に建てられたのがこの村上神社と伝える。
 住人たちが熱田神宮から勧請して熱田大神を祀り、熱田社と称していた。
 現在の社名になったのは戦後のことで、この場所が村上町だったことから来ている。
 村上の地名は、江戸時代前期(1666)に、尾張藩士の村上治兵衛が開墾したことで村上新田と呼ばれたことに由来する。
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鳥居 石柱 
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神殿 

✪鼎橋(かなえばし)
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橋 
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尾張名所図会に描かれた(粋人も庶民も愛でた萩の名所) 
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尾張名所図会前編5-26(中根村鼎池堤畔の秋萩 春江) 
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鼎橋付近の今昔 
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鼎池と新雨池
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石杭の刻印「従是東西鼎地区」 

✪名古屋市立大学
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入口 

✪善進寺(ぜんしんじ)日蓮宗
 開山は観照院日淳上人で本源院を建立し、寛文十二年(1672)に妙蓮寺が完成したという。
 本源院は享保五年(1720)に焼失したが、すぐ再建戦前までは中区に有った、昭和二十年(1945)の空襲で全焼してしまった。時は立ち、この地で開山し善進寺となった。
 また、千葉県の日蓮宗法華寺内にあった「善進坊」寛文二年(1662)にここに移し寺号を善進寺改称した。
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石柱 
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本堂 
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旧本堂の鬼瓦 

✪正及神社(せいきゅうじんじゃ)
 享保元年(1716)の創立です。
 尾張藩6代藩主の徳川継友が尾張藩士の鍵谷伝右ヱ門に命じて、日光東照宮から家康の分霊を勧請して建てた神社と伝える。
 拝殿、本殿が解放されていて、東向きのため明るく感じる。多くの神社は参道が南北であるがこの神社は東西で東側の遠くは静岡県の久能山東照宮(神廟)をみている。
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石柱  北側石柱 
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参道 
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拝殿 

✪東山荘(とうざんそう)
 大正時代に築造された山荘で所有者(綿布商伊東信一氏)の遺贈により、昭和十一年(1936)名古屋市の所有となった。
 昭和十八年(1943)以後市長公舎となり、昭和四十三年(1968)市民の公園として開放され、その情緒を味わうことができるようになった。茅葺きの門をくぐると広大な敷地に自然樹林そのまま美しい数寄屋風書院造りの風雅な建物が見られる。
 庭園は自然回遊式であり、玄関前庭、書院と自然樹林からなっている。
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茅葺き門 
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建物 
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茶室 
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集合写真 

✪東栄八幡社(とうえいはちまんしゃ)
 祭神は應神天皇(おうじんてんのう)です。
 創建は元禄十年(1697)と云われる。
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石柱 鳥居 
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参道 
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拝殿 
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神殿 

✪東栄寺(とうえいじ)真言宗豊山派
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山門 
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東栄観音堂 
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観世音菩薩 

✪馬頭観音
塩付街道沿い祀られていたものを移した。
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祠 馬頭観音 


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