2024/04/17名古屋市中村区史跡散策路 笈瀬川筋散策コースを訪ねた。 《4月活動紹介》
公開日:2024年04月23日 最終更新日:2024年04月23日
2024/04/17名古屋市中村区史跡散策路 笈瀬川筋散策コースを訪ねた。 《4月活動紹介》
伊勢神宮の御神領地で、お伊勢川と名付けられた川がやがて笈瀬川となった。庶民のまち名古屋駅太閤通口から巨大な予備校群を横に見て、八雲琴の水野社へ。カッパ伝説の椿神明社から旧笈瀬川筋をたどり、牧野5社を巡る。
牧野5社は椿神明社、厳島社、天王社、稲穂社、牧野神明社と云われる。
✿水野社
00年以前よりこの地にあるといわれる水野社は、かつて八雲琴が伝承されていました。文政三年(1820年)伊予国中山吉士通郷が神託により創始し、世に広めたといわれる八雲琴は、竹を二つ割にした胴に二弦を張って弾奏し、神聖な神曲を演じて神に奉ずるものです。
一説によると八雲琴「五十鈴川」は、三種の神器たずさえて伊勢神宮を祀られたやまとひっめに思いをよせた曲と云われている。
鳥居 石標
拝殿
護国社 身代地蔵尊
大松稲荷
✿ 椿神明社
御祭神は豊宇氣比売命(トヨウケヒメノミコト)を祀っている。
御社は伊勢神宮の外宮にみたてられた社と伝える。
尾張名所図会には「椿の森 河童乃怪」が記載されているのが、この地域であろう。
かっぱ伝説は『わしはおいせ川のカッパ太郎だ。川岸にはお宮の森がある。何十本もの大椿が繁っているので椿の森とよんでいる。・・・力自慢で男の子に化けるのが得意なカッパの話が伝わる』
参道 石標
参道 拝殿
神殿
尾張名所図会 付録
尾張名所図会 (椿の森 河童乃怪)
尾張名所図会
✿ 稲穂社
御祭神は宇迦之魂神(ウカノタマシカミ)を祀っている。
天保二年(1831)ごろの牧野村住民がこの地に移住して新たに一集落が造られ守護神として祀られた。
鳥居
神殿
稲穂社
稲荷社
秋葉社
✿ 牧野神明社
御祭神は天照大御神が祀られている。
境内に大きな藤の木があり、この木を伐採したところ、村中に疫病が流行した。陰陽師が占うと藤の木の祟りであり、酒を醸して神に献ずれば癒えるとお告げが有り、「おいせ川の水」で甘酒を造り神に献じたらたちまち疫病が癒えた。以来今日に至るまで神事として伝えられている。
鳥居 参道
神殿
この辺りから眺める名古屋駅のビル群
✿ 須佐之男社
御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)と火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)が祀られている。
一説には牧野5社の1社とも伝える。
鳥居
石標(須佐之男社) 石標(迦具土社)
✿河童伝説『かっぱの由来』
昔、笈瀬川(今の笈瀬本通り)に、子共好きの一匹の「かっぱ」が棲んでおったそうな。このかっぱは力持ちの男の子に変身する特技があったんじゃ。ある日、川でおぼれている子供を助け、それからみんなに「人助けのかっぱ」と親しまれたそうな。笈瀬本通り商店街も、このかっぱにちなんで家計を助ける「かっぱ商店街」へ生まれ変わったんじゃと。(笈瀬本通商店街振興組合説明板より)
尾張名所図会にも同じ様な表現がある。
河童の銅像
✿ 厳島社
御祭神は市杵島比売命(イチキシマノミコト)が祀られている。
古くより椿神明社、牧野神明社とともに牧野村三社の1社である。
石標
祠
✿ 天王社
御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)と火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)です。
祠
右の石標(天照皇大御神 熱田皇大御神 須佐之男・迦具土・水大大神)
左の石標(白玉龍神)
✿ 福田兼助碑
智興寺門前に福田兼助の碑が建っています。
この地区近代教育の祖といわれた兼助は、農家の出で学問を好み、徳川時代末期に村の子弟の教育に尽くし、明治になり学制が敷かれた時に推されて村校の教師になった人物です。
明治三十四年(1901)に建てられました。
石碑 説明版
山門
智興寺本堂
✿ 熊野社
御祭神は伊邪那美大神(イザナミノミコト)が祀られている。
境内はクス、ケヤキの保存樹がうっそうと繁っている。
子安社は安産の守護神、木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を祀っています。
鳥居
参道
参道燈籠の上部(宝珠、笠、火袋、請台)
参道と拝殿
拝殿 参拝場所
神馬
子安神社 鳥居
✿ 金山神社
御祭神は金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。
鎮火・農耕の神としてあがめられている鍛冶業の守護神と伝える。
名古屋城の石垣の石(残石垣)
名古屋城築城の際、この辺りを流れていた笈瀬川を使って石材を運んだ際に現在の露橋付近に石切場が有った、付近の笈瀬川から出土した築城の残石とされる石と伝えられる。
鳥居 石標
拝殿
残り石 説明版
✿ 円福寺
本堂には本尊阿弥陀如来立像が祀られている。
天正六年(1578)北一色村善行寺の二世海善が米野村に隠居して一宇を創建した。
二世海善は織田信長の親族であったと伝える。
山門
本堂