2023/12/13 名古屋市港区史跡散策路 百曲街道と観音堂めぐり《12月活動紹介》
公開日:2023年12月20日 最終更新日:2023年12月20日
2023/12/13 名古屋市港区史跡散策路 百曲街道と観音堂めぐり《12月活動紹介》
今回のルートはあおなみ線中島駅→正徳町1丁目神明社・20番割観音堂→正徳町2丁目神明社→21・22・23番割観音堂→25番割観音堂→26・27・28番割観音堂→小碓神明社→24番割観音堂→百曲街道→29・30・31・32・33番割観音堂→明正一丁目神明社→大音寺→当知神明社→あおなみ線港北駅で参加人員は8名でした。
《《番割観音堂》》(ばんわりかんのんどう)
番割観音堂は正保4年(1647)、藩営で始められた熱田新田の干拓で、慶安二年(1649)に完了し、慶安四年(1651)検地が行われた。土地を一番割から三十三番割までに区画し、区画された各番割に西国三十三か所観音に擬した観音をその土地の守護仏としたのが番割観音である。
《《百曲街道》》(ひゃくまがりかいどう)
百曲街道は江戸初期の熱田新田干拓に伴って出来た街道で、初代尾張藩主徳川義直の命により正保四年(1647)から開拓された。江戸時代の農業は各藩で耕地を増やすことにより増収が図られました。熱田新田は尾張藩が実施した最大規模の新田開発で、約4平方キロメートルが埋め立てられ、新田を33に分割して「番割」と呼び、それぞれに西国三十三ヵ所にちなんで観音像がまつられました。
この街道の尾頭橋から正徳橋は熱田新田の干拓が行われた後、新田の北側に自然にできた道路でくねくね曲がっているため「百曲街道」と呼ばれるようになった。
現在は稲葉地井筋(庄内用水)の西亥橋から33番割観音堂あたりはいろこく残っています。
✿正徳町1丁目神明社
祭神は天照大御神です。
22番割観音から分身を迎え、五穀豊穣を願って勧請した。
石標 鳥居と参道
拝殿
説明版
✿20番割観音堂
観音堂 観音像
✿正徳町2丁目神明社
祭神は天照大御神です。
鳥居 拝殿
✿21・22・23番割観音堂
観音堂 番札
観音像 説明版
✿神明社
石標 神殿
✿智願寺前のお地蔵さん
お地蔵さん
✿25番割観音堂
観音堂
観音像
✿26・27・28番割観音堂
観音堂 観音像
説明版
✿小碓神明社
祭神は天照大神。村の氏神として、寛文9年(1669)8月16日勧請した。寛政年間(1789〜1800)に作られた神楽は、毎年名古屋まつりに参加している。
石標 鳥居
拝殿
神殿 神殿(千木、鞭掛けなど)
説明版
✿24番割観音堂
観音堂 観音像
✿百曲街道(ひゃくまがりかいどう)
稲葉地井筋(庄内用水)の西亥橋
橋 橋名板「西亥橋・稲葉地井筋」
✿29・30・31・32・33番割観音堂
観音堂 観音像
説明版
✿明正一丁目神明社
祭神は天照大神。村の氏神として、安永8年(1779)9月22日勧請した。
石標 拝殿
クロガネモチ(保存樹) 説明版
明正一丁目神明社前の集合写真
✿大音寺(だいおんじ) 真宗大谷派。
嘉永元年(1848)、西川家の菩提寺として、西川宗春によって建立された。
本尊は「阿弥陀如来」で室町時代(1336から1573)の作と伝える像が祀られている。
山門 本堂
説明版
✿当知神明社
祭神は天照大神です。
当知新田干拓の頃、勧請したとい伝える。
当知神明社の神楽は、「弘化四年(1847)八月吉日錺屋佐助」とあり、明治二十年(1887)修理のとき金箔がつけられたとい言われている。
石標 鳥居
拝殿 説明版