2023/07/19 名古屋市昭和区史跡散策路「御器所台、寺社コース」を巡る。《7月の活動紹介》
公開日:2023年08月04日 最終更新日:2023年08月05日
2023/07/19 名古屋市昭和区史跡散策路「御器所台、寺社コース」を巡る。《7月の活動紹介》
名古屋市の地下鉄鶴舞線荒畑駅に4名集合して、出発点まで戻って来るコースです。
当日は猛烈に暑い日でこまめに日陰を見つけて休憩と水分を補給しながらの散策でした。
コースは、龍興寺→宗圓寺→久松寺→尾陽神社→浄元寺→西福寺→壽栄寺→龍福寺→御器所八幡宮→神宮寺→堪忍寺→御所屋敷址→荒畑駅
✿龍興寺(りょうこうじ) 曹洞宗
天文2年(1533)織田家に仕えていた御器所城主佐久間盛次が、一族の菩提寺として創建しました。
昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和53年ごろ藤山雷太(大日本製糖㈱社長などを務めた実業家)により、旧藤山家住宅(東京都港区白金台)に建築されたものを龍興寺に移築し本堂(龍興寺客殿)とした。昭和54年(1979)旧藤山家住宅日本家(龍興寺客殿)で県指定文化財指定を受けた。 本堂前は入り組んだ形の池を中心にした日本庭園が広がり、本堂とも調和した美しい空間になっています。
庭の東側に茶室が有り、扁額には「如庵」とあり、犬山市に有る茶室如庵に似せた造りである。
入口
本堂(平屋の書院と楼閣からなる日本建築です)
泉殿(月見台)書院の南西部に張り出し
楼閣
八角堂
茶室(如庵)
✿八大龍王社(はちだいりゅう呪おうしゃ)
大正の初め頃まで龍興寺ヶ池(雨池)という大きな池がありました。この池には、龍が生息していると言い伝えられていたので、大正5年(1916)頃、土地造成のための排水後この池の守り神をまつる龍神(八大龍王社)がつくられた。
境内の石碑には「唵 嘛 呢 叭 □ 吽」と刻印されている。
《六字大明呪(ろくじ だいみょう じゅ)というチベット仏教の呪文で御真言と思われる。》
入口
石碑(「唵 嘛 呢 叭 □ 吽」)
✿宗圓寺(そうえんじ) 曹洞宗
本尊は十一面観世音菩薩。龍興寺の末寺で、四世白山を開祖です。寺の南西には石仏を収めたお堂があり、名古屋市に現存する最古の宝篋印塔(ほうきょういんとう)市文化財が安置されている。
入口
案内板
お堂
宝篋印塔
✿久松寺(きゅうしょうじ) 曹洞宗
戦国時代(1550年頃)の藤原忠利(駿河守)が御堂を建立した。元和2年(1616)藤原氏の末裔・前田家の菩提を弔うため、その末裔・奥村庄左ヱ門が再興しした。
本尊は阿弥陀如来で、他に延命地蔵菩薩、弘法太師が祀られている。
山門
本堂
✿尾陽神社(びようじんじゃ)
尾張藩初代藩主徳川義直と徳川慶勝を祀る神社で、明治43年(1910)名古屋開府300年を記念して創建されました。
徳川義直の別名を「尾陽公」と言い、この神社の名前になっています。
ここは嘉吉年間(1441から1444)に佐久間家勝が築城した御器所西城跡です。
鳥居と標柱
総門
案内板
拝殿
御器所西城址
石垣(御器所西城址の石垣)
稲荷大明神
✿浄元寺(じょうげんじ) 曹洞宗
龍興寺の末寺で永禄年間(1558から1569)正躰浄元を開祖です
ここは茶道賣茶流(ばいさっりゅう)の家元でもあり、寺で茶会が催されます。
山門
本堂
茶室
✿西福寺(さいふくじ)
境内右手に上部の欠けた標柱が立っています。昭和20年の名古屋大空襲で吹き飛ばされたもので、戦争の悲惨さを伝えています。寺歴は古く、天長6年(829)弘法大師が真言宗寺院として建立し永禄5年(1562)浄土真宗に改宗しました。
山門と標柱
傷ついた標柱
本堂
✿壽栄寺(じゅえいじ)曹洞宗
明治初年(1868)に創建です。
東側に地蔵堂があり、出世地蔵のいわれを持つお地蔵と、弘法大師、不動明王尊、観世音菩薩、延命地蔵大菩薩、重軽地蔵尊などが安置されています。
本堂
地蔵堂
お地蔵
✿龍福寺(りゅうふくじ)真言宗
普照尼(八事興正寺が創建された時の開祖の生母)が創建した寺です。
本尊が地蔵尊です。地蔵尊は、山伏が寺の柳の大木から弘法像三体をつくり、尾張3箇所に安置したひとつで、尾張三弘法の元祖といわれます。
また、お遍路めぐりの名古屋二十一太師霊場の第20番です。
山門
本堂
第二十番札所案内板
✿御器所八幡宮(ごきそはちまんぐう)
創立年代不詳ですが、一説には平安時代前期に仁明天皇の勅願社とされ、熱田神宮鬼門方位の守護として鎮座されたとも言われます。鎌倉時代に御器所西城を築いた佐久間家勝が鎮護神社です。
徳川家康は小牧・長久手の戦いの前に必勝祈願をしたと伝える。
境内に菅原道真公を祀る御器所天満宮もある。
御器所八幡宮の鳥居と標柱
御器所八幡宮拝殿
御器所天満宮の鳥居
拝殿
✿神宮寺(じんぐうじ)真言宗
御器所最古の真言宗の寺院で、嘉祥3年(850)熱田神宮鬼門除けの修法祈願所として創建された。昭和20年の名古屋大空襲で焼失しましたが、昭和46年に再建されました。
本堂
✿堪忍寺(かんにんじ)
徳川家の家臣、保忍法浄(ほにんほうじょう)が開いた寺で、寺名は「堪忍の心」という家康の家訓から名付けたといわれています。戦後、西区から現在地に移された。
本堂
✿御器所東城址
城址
✿御所屋敷跡(ごしょやしきあと)
秀吉の母、大政所の在所と言い伝わるところで、敷地内には「御所屋敷跡」と彫られた石柱がある。
御所屋敷趾
標柱
案内板
名古屋市教育委員会の立札「伝豊臣秀吉母宅跡」