2023/04/19 名古屋市中村区史跡散策路「日比津・大秋の里散策コース」を巡る。《4月活動紹介》
公開日:2023年04月24日 最終更新日:2023年04月25日
2023/04/19 名古屋市中村区史跡散策路「日比津・大秋の里散策コース」を巡る。《4月活動紹介》
✿六生社(ろくしょしゃ)
創建年は不明です。
祭神は塩土老翁命(シオツチノオジノミコト)で、祭神は幼児の守護神といわれ、安産の神様として敬愛を受け祀っている神社です。
境内にはムクノキ、タブノキ等の保存樹があります。
鳥居と石標 石の扁額
拝殿
御神木(クロガネモチ)
✿菊泉寺(きくせんじ)曹洞宗
本尊は十一面観世音が祀られている。
古くはこのあたりまで山田荘であったそうです。
参道と石標 山門
本堂
鐘楼
大日如来と三十三観世音菩薩
✿八幡社
慶長15年(1610)名古屋城敷地内にあったのを、名古屋城築城に際して、普請奉行の佐久間河内守がこの地に移したと云われる。
広い境内にはクロマツ等の古木が有る。
鳥居と番塀
拝殿
保存樹(クロガネモチ)
八幡稲荷大明神
✿土江(ひじえ)神社
「土江」と書いて「ひじえ」と読む神社です。
祭神は少彦名命(スクナヒコナノミコト)です。
神社の御祭神は少彦名命と大国主命 (オオクニヌシノミコト)と力を合わせて天下を治められた、人々のために病を治す方法を定め、鳥獣昆虫の災害を払う方法を定め、それにより百姓はその恩恵を今に至るまでこうむっていると伝えています。
石標
鳥居と拝殿
拝殿 拝殿の扁額
蝋燭立て(刻印「泥江神社 西伯利出征記念」)
(刻印の読み「ひじえじんじゃ シベリアしゅっせい」)
土江神社(HIJIE SHRINE)
✿白山神社(日比津)
尾張北部地域に有る尾張白山の山頂に「白山社」が鎮座し中腹には「大山廃寺跡」がある。「愛知の白山信仰」の白山神社とは全く関係のない白山神社である。
創建年は不明です。
祭神は菊理姫命(ククリヒメノミコト)です。
一の鳥居
石標
鳥居
参道
大きい燈籠
拝殿
白山龍神
✿定徳寺(じょうとくじ)日蓮宗
延文5年(1360)僧日悚(にっしょう)の創建。明徳(1390から94)のころ、当寺第二世日悚により諸堂が整えられたのが始まりと伝える。
当寺第二十五世あった高僧日潤(にちじゅん)は道徳、和歌、茶道をし、その高徳は四方に聞こえたと伝える、天保八年(1837)身延山久遠寺第六十世貫主となった。
参道、山門
山門
案内板
本堂 本堂の扁額
鐘楼(名入り「長秋山定徳寺」)
龍に似た松
✿慰霊場
大東亜戦慰霊碑、忠魂碑
乃木(希典)大将像
台座の刻印(青年団創立十周年記念)(昭和九年十月)
✿大円寺(だいえんじ)真宗高田派
この地方の古くは軍事上の要衝地であった。日比津城と栗山城の二城があり、大円寺は日比津城主の菩提寺でした。
本堂の西よりに有る二基石塔は、日比津城主野尻掃部の墓塔である「宝篋印塔」と「五輪塔」の二基ある。
今は原形をとどめていないが、五輪塔地輪に「貞治四年(1365)」刻印が刻まれている。また右の宝篋印塔の基部に「応永十七年(1410)」と刻まれている。南北朝と室町時代の貞治・応永の年号は市内でも最も古い石塔忌年銘である。
境内にある古木のクロマツがある。
参道と山門
山門と石標
本堂(左端に城主墓所)
日比津城主墓所
クロマツ
東山門
案内版
✿妙聴寺(みょうちょうじ)日蓮宗
山門
境内は整備中でした。
✿尾張名所図会
尾張名所図会5-3
✿常泉寺(じょうせんじ)日蓮宗
慶長年中(1596から1615)円住院日誦上人の創建と云う。
豊臣秀吉生誕の地にあたると伝えられている寺院で、豊国大明神の廟堂として創建した。
◎豊臣秀吉生誕の地
豊臣秀吉生誕の地として、豊国大明神の廟堂とし創建された。御神体は豊太閤の肖像束帯唐冠で、当初は大阪城にあったものを加藤清正が現在の地に鎮座し、奉りました。
参道と石標
山門
本堂
案内板
◎木下長嘯子宅跡(きのしたちょうしょうしあと)
長嘯子(木下勝俊)は、木下家定の長子、北政所(秀吉正室)の甥である。豊臣秀吉のもとで若狭九万石を領したが、関ヶ原の戦いでは去就に迷い、所領を失った。
木下長嘯子宅跡
◎秀吉の産湯の井戸
秀吉公産湯の井戸は、秀吉公が生まれた際、この井戸はほかに類をみないほどの清水が豊かに溢れていたといいます。このことから寺の名前を「常泉寺」という名がつけられたと縁起書にも記されています。
秀吉の産湯の井戸
◎秀吉公が植えたお手植えの柊
秀吉公が植えたと伝えられる柊があり、大きく枝葉を広げています。秀吉は1590年、小田原城攻めから戻る際にこの地に立ち寄りました。このとき寺を建立したとき「鬼神も恐れ寄せ付けない幸運の木」として植え手ずから竹を立て添えたと伝える。
秀吉公手植えの柊
秀吉の産湯の井戸
豊臣秀吉公の銅像
✿妙行寺(みょうぎょうじ)日蓮宗
慶長15年(1610)の名古屋城築城の際、普請の命を受けた加藤清正は築城の余材と普請小屋を貰い受け、自身の誕生の地に妙行寺を再建した。
山門
本堂 扁額
◎加藤清正誕生の地
清正は虎之助(幼名)といい、永禄5年(1562)この地に生まれたと伝える。
説明版
清正誕生之霊地
石標◎加藤清正公の銅像
◎加藤清正の紋
加藤清正公が「蛇の目」と「桔梗」との二つの紋を併用するようになったのは、天正十六年五月、肥後半国に封ぜられてからである。
清正の紋
以上