特定非営利活動法人 愛岐トンネル群保存再生委員会
トンンル群の中、最大の14号ポータル(坑門)多治見市内
正式に、NPOになりました。
 特定非営利活動法人(2009−8−13)
 愛岐トンネル群保存再生委員会
公式サイトをオープンしました。URL
http://aigi-tunnel.org/index.html

 私達法人は、この『産業遺産群』と『歴史遺産』に加え、廃線や古道に自生する生物相と『美しい自然』とが三位一体となった環境を保全整備し、調査・収集保存・記録・研究したことを住民に公開して活用する活動を行なう。あわせて継続して行なうこれらの活動によって、広域住民のためのワイズリュース(賢明な再利用)する事業を行なうものである。

(愛岐トンネル群の解説)
107年前の明治33年、「名古屋」から「千種」「勝川」「高蔵寺」の各駅を経由して岐阜県の「多治見」まで国鉄・中央線が開通しました。
当時は単線ながら名古屋から春日井を通り、東濃をつなぐ唯一の鉄道交通手段として蒸気機関車が人と物、さらには文化を運んでいました。

この時、「高蔵寺」と「多治見」間の愛岐道路の庄内川対岸の急峻な渓谷8キロ余にわたる山肌に14ヶ所ものトンネルが掘られました。(現存は13ヶ所)
当時のツルハシとスコップという稚拙な削くつ技術の時代においては特に難工事となり、尊い二十余名の命が奪われたそうです。

当時の日本政府は軌道にイギリス式を採用し、英国人技師の指導の下、総赤レンガ製のトンネルはイギリス積み工法で造られ、馬蹄形の優美な姿を留めています。

その後、複線電化に伴い新たなトンネルが掘られ、蒸気機関車が行き来したこの単線トンネルは66年間の使用の後、昭和41年に廃線になりました。現在でも愛岐道路の木立の隙間から、現存する13ヶ所の草生すトンネルの一部を垣間見ることが出来ます。

ところが、数十万個の赤レンガが使用されたと推計される14基のトンネルや橋梁・橋脚群は、「愛知・岐阜県下では最古の明治期の鉄道遺構を大規模に残す貴重な産業遺産ゾーン」であるにもかかわらず、その敷設されている地形は険しい山肌であり、取り付き道路もないため、廃線後41年間人手が入る事もなく、まるでタイムマシンでワープしたごとく奇跡的といえるほど当時の姿を留めています。